記事番号: 1-1736
公開日 2009年02月24日
~ 平和の大切さ 私たちが発信します ~
平成20年度 中学生平和交流団 報告
平成20年8月7日~10日の日程で、中学生平和交流団12人(生徒10人・教諭2人)が、被爆地長崎市を訪問しました。
本市では、平成8年度から中学生平和交流団を県外へ派遣しています。この事業は、平和学習を通して未来を担う中学生が戦争の悲惨さ、平和の尊さを学び、次世代へと伝えていくことを目的としています。
平和祈念式典への参列、青少年ピースフォーラムへの参加、また老人ホーム訪問などを通して、被爆の実相を学ぶとともに、平和な世界の実現について意見交換をしました。
★ 本研修 ★
○ 青少年ピースフォーラム(8月8日、9日)
同じ世代でも様々な意見があり、そのなかで「平和」をテーマに、考えを出し合って「平和宣言文」を作成しました。
○ 原爆犠牲者慰霊平和祈念式典(8月9日)
長崎市平和公園の平和祈念像前において、長崎市長、内閣総理大臣、外国大使ほか要人らが列席するなか、浦添市中学生平和交流団も参列しました。11時2分、63年前に原爆が落とされたその時間に全員で黙とうし、これ以上原爆や核兵器、そして戦争などで苦しむ人がいなくなるように、願いました。
*感想*
長崎市の田上市長の平和宣言から、原爆で生き残った約75,000人の人々は、被爆し心も体も傷ついているのに、さらに貧困や差別に苦しんだことを知りました。長崎では高齢の被爆者が、その傷に耐えながら被爆体験を語り、また若い世代は「微力だけど無力じゃない」を合言葉に、核兵器廃絶の署名を国連に届ける活動を続けています。私たちも、少なくなっていく戦争体験者から話を聞いたり、平和について学び、次の世代へ戦争の実相を伝えていかなければならないと思いました。
○ 恵の丘長崎原爆ホーム訪問(8月10日)
この恵の丘では、入所する被爆者の方が原爆の悲惨さ、平和の尊さを語り継ぐために、被爆体験講話や平和行事を行っています。
平和交流団は、被爆者の延田(のべた)シズエさんから被爆当時やその後のお話を聞きました。また、交流会では沖縄のエイサーを披露し、ホームの皆さんと心温まる交流をしました。
*感想*
延田さんから貴重なお話を聞くことができました。戦中・戦後は生きるだけで精一杯だったそうです。一番印象に残った言葉は、「夢を持ち、親を大切にし、自分のために学びなさい」という言葉です。この研修を通して、いろいろなことを学び、命の尊さ、生きることの大切さを知ることができ、非常にいい体験になりました。
←被爆体験を語ってくれた延田シズエさん
←交流会で披露したエイサー
★ 事前研修 ★
事前研修では、地元沖縄で起きた沖縄戦のことを学びました。
○ 第1回事前研修(7月25日) 浦添・宜野湾戦跡巡り
うらおそい歴史ガイドの翁長政善氏のガイドで、浦添市牧港にあるチヂフチャーガマ、宜野湾の嘉数高台公園、浦添城跡を見学し、自分達が住む浦添やその周辺での戦争がどのようなものだったのかを学びました。
*感想*
浦添城跡では「ここを落とせばすぐ首里司令部」ということもあり、日本軍と米軍が死に物狂いで攻防した戦いだったそうです。そのなかで住民も多数犠牲になり、浦添に住む44.6%の人がなくなったそうです。自分たちの身近なところで、こんなに悲惨なことがあったことに驚きました。このことを学校や家族など身近な人から伝えていき、戦争をなくしたいです。
○ 第2回事前研修(8月1日) 南部戦跡巡り
平和ガイドの与儀喜一郎氏のガイドで、沖縄戦の終盤、悲惨な戦地となった南部の戦跡を回りました。
・コース・
浦添市経塚・沢岻(車窓) ⇒ ナゲーラの壕(第62師団野戦病院跡) ⇒ 県立平和祈念資料館 ⇒ 平和の礎
⇒ ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館 ⇒ トゥドゥルチガマ(轟壕)
*感想*
私たちが住んでいる沖縄で戦争があったことは知っていましたが、今回ガイドの方から話を聞いたり、資料館やガマの中に入ったりしてさまざまなことを学びました。戦争のメカニズムについて学び、「戦争は『起こる』のではなく『起こす』のである」ということがあり、このことから私たちが世界平和を「祈る」だけではなく、「行動を起こ」さない限り、誰かが悲しみ、悲惨なできごとが繰り返されてしまうのだと知りました。
私たちが今平和な生活を送れるのは、憲法第9条があるからです。だから私たちはこの第9条にある「戦争放棄」を世界に訴え、日本国民の恒久平和の願いで作られた第9条を守り続けなければならないと思いました。