記事番号: 1-11751
公開日 2015年05月28日
あの日々を忘れないために
戦場の様子
今年は終戦から70年目の節目の年です。沖縄戦では日本史上まれにみる、住民を巻き込んだ地上戦が行われ、20万人もの尊い命が奪われ、多くの県民が犠牲となりました。その沖縄戦が終結してから今年で70年。戦争体験を知らない世代が増え、戦争を自らの体験として語ることのできる方々が少なくなってきました。沖縄戦の悲惨さを伝え、二度とこのような戦争を繰り返さぬよう、人々の記憶のなかから沖縄戦の惨禍を忘れることなく語り継いでいかなければなりません。
たくさんの県民が犠牲に
沖縄戦には、いくつかの特徴があります。一つは米軍が上陸してきたために、県民生活の場がそのまま戦場となったことです。これを「地上戦」といいます。広島や長崎に、原子爆弾が飛行機から落とされ、一瞬のうちに、市民が犠牲になった場合と性格が異なるのです。二つは、兵士よりも、一般の県民がたくさん死んだことです。県民の生活の場である町や村が、そのまま戦場となったわけですから、県民は逃げ場を失って戦火の犠牲となってしまったのです。
激戦地だった浦添
1945年4月1日、米軍は北谷町から読谷村の海岸に上陸した後、軍の大部分が首里・那覇を目指して進攻してきました。日本軍は、現在の宜野湾市にある嘉数高地と浦添城間グスク一帯(前田高地)に防衛線を張り、進軍してくる米軍を迎え撃ちました。そこで、日本軍と米軍の激しい攻防戦が繰り広げられ、沖縄戦最大の激戦地となりました。地上では米軍の戦車や装甲車が進攻、おびただしい数の銃弾が飛び交い、洞窟や壕には手榴弾が投げ込まれました。空からは「鉄の暴風」と呼ばれたほどの凄まじい爆弾投下と砲撃をうけ、多くの死傷者がでました。
住民の44.6%が犠牲に
戦災実態調査票(浦添村全体)
浦添の住民は陣地づくりの作業にかり出されたり、弾薬を運ぶ役目を負わされたりと日本軍兵士の手伝いを強制的にさせられました。また、すんでいた屋敷を兵士に無理やり追い出されることもあり、その結果、多くの住民が逃げ場を失い命をおとしました。当時浦添の人口は約9,200人でしたが、そのうち戦争で亡くなった人は4,112人で実に44.6%の住民が犠牲になりました。
ある住民の体験
浦添市が発行した浦添市第5巻には、住民の生々しい戦争体験が収録されています。その中から一部抜粋し紹介します。
体験記①
「ここから、2、300メートルほど離れた、小高い所に敵(アメリカ軍)が入り込んでいるのが見えました。おじいさんが私たちの壕に来て、「うちの壕に、週榴弾が投げ込まれて、おばあさんの、首から下はどこへ行ったか、わからないよー、死んでいるよー、」とおおさわぎしているのです。
体験記②
私は、家族と共に山原へ疎開しようとしたら、日本軍によって、「あんたがたがみんなが逃げたら誰が弾運びするのか」と経塚に引き止められ、経塚で重傷を負うことになった。私がいたら両親らが避難できないから早く死んでしまおうと思って急須の水をいっぱい持ってたので、それを全部飲んだけど死なないのです。私は、右肩、右腕、そして右大腿部をやられ、右足の骨が折れてぶらんぶらんしておりました。
体験記③
「私が浦添城址で捕虜になったとき、壕の前の方には兵隊や住民の死体がゴロゴロしているのです。10日も二週間もたっている死体の側を通ったり、見たりしているが死体という感じもしないし、物すごく悪臭がしていたはずだのにそれも感じないのです。だから、もう恐らく頭は正常じゃなかったんじゃないかと思うんですよ。戦争の弾の中におる人というのはですね、恐らく正常な感覚が働かないんじゃないかと思いましたよ。」
写真でみる沖縄戦
戦争写真1
砲煙弾雨に煙る中部戦線。激しく抵抗する日本陣地に火災放射弾を浴びせる米軍。
戦争写真2
やっと地獄を生き残りお互いに傷の手当をしている少年と少女。
戦争写真3
“鉄の暴風”と形容される米軍の猛攻を示す夜景。恐怖のどん底にありつつ、思わず見とれたという人もいる。
戦争写真4
牧港付近。米軍の南部総攻撃は始まったが、戦況は一進一退。
次の世代へ伝えていくために
浦添市では平和行政の柱として、昭和61年に「平和都市宣言」、平成8年に「核兵器廃絶宣言」を制定し、平和への意識を更に高めていくため、平成8年度から「中学生平和交流事業」を実施してます。未来を担う中学生が、県内外での平和学習を通じて戦争の実態や平和の尊さを学び、平和への願いを広げていきます。
平和交流団の活動
【引用・参考文献】
浦添市(浦添市平和ガイドブック)
浦添市教育委員会(URASOE平和のかけはし
浦添市教育委員会(URASOE歴史たんけんブック)
浦添市史第5巻資料編4 戦争体験記録
【写真提供】 沖縄県平和祈念資料館
2015年 ピースイヤー in 浦添
本市では終戦70年目の節目にあたる今年を、「ピースイヤーin浦添」として、年間を通じて各種平和祈念行事等を開催します。この機会に平和について一緒に考えてみませんか。(※いずれも終了)
【平和講演会】障がい者と沖縄戦
戦時中、障がいを持った方々が、どのような状況におかれていたのか、戦争を生き抜いた障がい者が、これまであまり語られなかった戦争体験を語る。併せて、沖縄戦のパネル・資料展示を行なう。
6月7日(日) 14:00~15:30 浦添市役所 9階講堂
【講座】子どもから見た戦中・戦後~浦添の戦争体験を語り継ぐ 講師:石原 昌家氏 他
戦中の様子や戦後の浦添村仲間収容所での復興生、村民の帰村運動へ係わった人々から体験を聴き、一人ひとりがより良いまちづくりに係わる意識啓発の講座を実施。地域自治会での聞き取り、市内小学校へ「平和キャラバン隊」の派遣も実施。
6月11日(木) 19:00~ 浦添市中央公民館(本館 3階ホール)
【展示】儀間比呂志「戦がやってきた」展
沖縄を代表する美術家・儀間比呂志が沖縄戦をテーマに制作した版画(パネル)展。
6月23日(火)~6月28日(日) 浦添市美術館
【コンサート】レクイエムコンサート2015
浦添市子ども文化連盟「太陽樹 てぃだーじゅ」によるコンサート。
6月14日(日)16:00~18:30 てだこホール(大ホール)
【展示】戦争遺物展
市内から出土した戦争遺物の展示。
6月2日(火)~7月5日(日) 浦添グスク・ようどれ館
【展示】70年目の祈り~平和を考える~
平和に関する図書の展示。
5月30日(土)~8月中旬 浦添市立図書館
【展示】移民と戦争
移民が経験した戦争に関する写真の展示。
8月 浦添市立図書館
【イベント】戦跡巡り
浦添市内に残る戦跡をうらおそい歴史ガイドが案内。
年3回予定(時期は未定)
※上記の行事等は、変更になる場合があります。詳細が決まり次第、ホームページ等でお知らせします。
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