終戦70周年浦添市平和講演会「障がい者と沖縄戦」

記事番号: 1-767

公開日 2015年06月11日

終戦から70年、障がい者をテーマに平和について考えました



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 平成27年6月7日(日)に、終戦70年浦添市平和講演会「障がい者と沖縄戦」が開催されました。この講演会は、終戦70年の節目の年に、平和について考える機会としてもらうため開催されたものです。



 今まで取り上げられる事が少なかった「障がい者」に焦点をあて、戦時中障がい者がどのような状況に置かれていたのか、沖縄視覚障害者福祉協会会長の山田 親幸さんと沖縄国際大学名誉教授の安仁屋 政昭さんにお話をしていただきました。



 会場には、市内外から約130人の方が来場し、沖縄戦への関心の高さがうかがえました。



 



○視覚障がい者が体験した戦争



山田 親幸さん(沖縄視覚障害者福祉協会会長) ※要約



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戦争当時、私は喜如嘉国民学校の5年生、10歳でした。



学校の教育は軍国主義で、教科書の中身は戦争で手柄をたてた人の話になっていた。



私は強度の弱視だったが、食糧増産(のための畑仕事)やまき取りなど、弱視にとっては非常にしんどい教育を受けた記憶しかない。



戦時中避難するときは、家族11人一緒に非難した。



僕は強度の弱視で先頭を歩けないので、いつも誰かが誘導してくれた。



山中では、刈られた後の竹がするどくとがっていた。弱視としては、(足元がよく見えないので)それがとても大変だった。



避難生活で大変だったことは、子守りだった。



私は2歳になる従兄弟の子どもをおぶって、小学校2年生の妹が1歳になる別の妹をおぶって子守りをした。



食べ物が足りないので、子どもが泣く。すると、その泣き声が米兵に聞こえたら大変だと大人も私たちに辛くあたった。



その中で子守りをしたのが辛かった。



大人は朝から夜遅くまで食糧を探しに出かけたため、暗くなっても戻らないと不安になった。



父や母が米兵にやられてはいないか、こういう不安は、子守の辛さとともに大変なものだった。



当時の食糧は、今では誰も食べないようなものだった。



ソテツの実は貴重だったので、幹を食べた。



ソテツは毒を抜いて調理しないといけない。全然おいしくないが、それでも食べないといけなかった。



私の兄は、右手と右足にマヒがある。私より9歳上で、当時20歳だった。



徴兵検査の際は、丙種合格(今で言う不合格)だった。同級生がみんな兵隊に行く中、兄は行けなかった。同級生に「お前は国家の米食い虫か」と言われていた。



戦争にいけなかったので、兄は、危険な場所での監視員を進んで引き受けていた。友達が死んでいるので、本人も死んでも構わないという気持ちだった。(身体障がいがあるので)これがせめてもの戦争協力だった。



 



○戦時中、障がい者が置かれていた状況とは



安仁屋 政昭 (沖縄国際大学名誉教授) ※要約



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 これまで、沖縄県史や市町村史の中で、色々な戦争体験が記録されています。しかし、障がい者の戦争体験については、あまり書かれておらず、不十分です。



 それは、歴史の編纂員が記録をしなかったわけではなく、障がい者を家族に持つ方とって、戦時中の障がい者の無残な体験を話すことができず、隠したり伏せていることがあるからです。



 障がい者とよく言いますが、戦争体験を語る上で、身体や精神障がい以外にも、高齢者や乳幼児、そして病人などの弱者についても考えなければなりません。妊婦も同様です。



 精神障がい者の場合、あらぬことを口走ったりするので、スパイ容疑をかけられました。状況が分からないので、ペラペラしゃべってしまいます。そうすると、しゃべらせないようにしてしまいます。



 聴覚障がい者の場合は、耳が聞こえないので、米軍砲弾が自分の後ろ100メートルぐらいのところで爆発しても、平然としています。



 そうなると、日本軍から「お前は自分のところに弾が落ちないと知っているから、平然としているんだろう」と言われ、スパイと疑われました。



 戦時中、「障がい者はじゃまだ」、「障がい者はほっとけ」とされました。(障がい者を)放置するということは、死地に追いやるということです。



 障がい者の戦争体験は、記録が難しいです。障がい者自身も屈辱の体験を語りたがらないし、その家族も障がい者を放置して死に追いやってしまったことから、語りたがらないことがあります。



 事実を私たちは語りつがないといけません。若い世代に、戦争が再び起こらないよう、語り継いでいかなければいけません。



○沖縄戦パネル展  



平和講演会では、沖縄戦に関するパネル展も同時開催されました。



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