浦添国民学校の2年1か月 ~ 命をつないだ疎開 ~

記事番号: 1-9849

公開日 2016年06月15日

命をつないだ疎開~浦添国民学校の記録~

沖縄で地上戦が繰り広げられた太平洋戦争。
その戦闘が本格化する前の1944年、沖縄では疎開計画が進められていました。
沖縄での戦火から逃れ、次世代の戦力を温存するため。
そして、戦争で足手まといとならないよう事前に退去させるため。
このような理由から学童疎開は実施され、多くの子供たちが沖縄を離れました。

浦添では、浦添国民学校と仲西国民学校の児童たちが九州へ疎開しています。

疎開したから助かった命。
しかし、疎開先での生活は幼い子供たちにとって厳しいものでした。
親元を離れ、遠く九州へ渡った疎開児童たち。
ここでは、浦添国民学校の2年以上に渡る宮崎での疎開生活を紹介します。

私の疎開体験記

疎開体験者の皆さん

●新城啓重さん(浦添国民学校 第1班)

~疎開生活は苦しかった。でも、富高は私の第二の故郷です~

●當山全弘さん(浦添国民学校 第3班)

~岩脇村は、命の恩人です~

●新垣サダ子さん(浦添国民学校 第1班)

~3か月間だけ、内地で勉強をするんだと聞かされていました~

●当間栄安さん (浦添国民学校 第3班)

~沖縄を離れるとき、自分が裏切者になったように感じました~

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