平成26年度中学生平和交流団 報告

記事番号: 1-4877

公開日 2014年09月24日

平成26年度 ピースメッセンジャーを紹介します 

  




 





  浦添市では、昭和61年に「平和都市宣言」、平成8年に「核兵器廃絶宣言」を制定し、平和に対する意識を更に高めるため、平成8年度から中学生平和交流団を県外へ派遣しています。今年度で19回目となる、この事業は、県内外での平和学習を通して、未来を担う中学生が戦争の悲惨さ、平和の尊さを学び、次世代へと伝えていくことを目的としています。 今年度も昨年度に引き続き、長崎市へ浦添市中学生平和交流団(11名)を派遣し、長崎原爆犠牲慰霊平和祈念式典の参列や青少年ピースフォーラムを通して原爆を実相を学ぶとともに、全国の平和交流団と交流しました。

派遣に当たっては、事前事後研修を実施し、沖縄戦や浦添・宜野湾戦について学びました。

 また第二次世界大戦時に、浦添国民学校(現在の浦添小学校)の疎開先であった宮崎県日向市から、中学生平和交流団が来沖し、本市の中学生平和交流団と交流を深めながら意見交換しました。







第1回事前研修 7月23日 浦添・宜野湾戦跡巡り

 ヂヂフチャーガマ→嘉数高台公園→前田高地(浦添城跡)

 講師:粟森 弘政 氏(NPO法人うらおそい歴史ガイド友の会)




  第1回事前研修では、浦添・宜野湾戦跡を巡り、浦添での戦闘跡、当時の様子について学び、自分達の住む浦添も戦争と無縁ではなかったことを学びました。平和ガイドさんの説明を聞き、戦争の状況や様子が克明になり、平和の大切さを改めて考えるようになりました。



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   ▲ビデオ学習の様子。私たちの住む浦添も激戦地だった          ▲牧港にあるチヂフーチャーガマ。ここでお年寄りや子ども

    ことを学びました。                                  たちが避難生活を送りました。



       

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                 ▲嘉数高台公園では、第一防衛陣地での日本軍の守備と米軍の侵攻について学びました。



          

   ▲嘉数高台公園には多くの慰霊碑がありました。              ▲前田高地平和の礎に眠る戦没者へ黙とうを捧げました。  

                           



第1回事前研修 研修報告 仲西中学校



  僕達は第1回事前研修で、浦添前田・宜野湾嘉数の沖縄戦について学びました。最初に沖縄戦についてのビデオを鑑賞し、沖縄戦では日本兵やアメリカ兵、沖縄住民も多くの人々が亡くなったことを知り、大変悲しいことだと改めて感じました。その後、実際に浦添宜野湾の戦跡をめぐりました。印象に残ったのはチヂフチャーガマで、これは牧港の住宅地の一角にあり、多いときで約400人が避難した場所です。また、前田高地のディーグガマは、浦添で亡くなった約5,000人の遺骨が納められていたそうです。どちらのガマも中を覗くことができ、戦争ではたくさんの人が亡くなったこと、今では静かなこの土地で悲惨な出来事が起こっていたことにすごく衝撃を受けました。それから、嘉数高台公園や前田高地平和の碑もとても印象に残りました。嘉数高台公園では、高地の占領をかけて、激戦が繰り広げられ多くの尊い命が失われました。前田高地平和の碑は、恒久平和を願って建立され、戦没者の名前が刻まれていてその多さに驚きました。平和で今私達が住んでいる身近な浦添にこんなにたくさんの戦跡があることを知って、二度と戦争を起こさない平和な毎日をつくっていきたいと思いました。







第2回事前研修 7月25日 南部戦跡巡り

 首里司令部壕→沖縄県平和祈念公園→ひめゆりの塔・資料館→轟の壕

 講師:古波蔵 豊 氏(NPO法人うらおそい歴史ガイド友の会)




 第2回事前研修では、南部戦跡を巡り、平和の礎やひめゆり平和祈念資料館などを見学しました。また、轟の壕では、実際に暗く曲がりくねった壕の中に入り、やっとのことで通り抜けられる狭さや、明かりがないと見えない暗闇の中で,当時の戦禍状況に思いをはせました。



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   ▲首里司令部壕では、激しい攻防戦が行なわれました。          ▲平和祈念資料館では、沖縄戦に関する映像や模型、証言    

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   ▲平和の礎では、多くの戦没者が刻銘されていました。           ▲平和の象徴「平和の火」について説明を受ける団員。



 

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   ▲轟の壕では明かりを消し真っ暗闇を体感しました。             ▲ひめゆりの塔では戦没者の冥福を祈って全員で黙とう

                                                   を捧げました。



第2回事前研修 研修報告:浦西中学校



 南部戦跡巡りでは、首里司令部壕、平和祈念資料館、平和の礎、ひめゆりの塔と記念資料館、魂魄の塔、轟の壕に行きました。首里司令部壕では、実際に司令部の存在をたしかめ司令部壕周辺では、どのような攻防戦があったかなどを学びました。ここで争い終わっていれば南部で多くの人が亡くなることはなかったと思います。平和祈念資料館では、実際に戦場で使用した弾や着物、沖縄戦の詳しい情報などが展示されていました。写真などが展示されていて、集団自決のむごい写真は前から見たことはあったのですが、いつ見ても心が締めつけられます。平和の礎では、沖縄戦で亡くなった全ての国々の人々が刻銘されていて、数え切れないほど犠牲になった人の名前を見て、戦争は悲しみしか生まない残虐なものだと思い、とても腹が立ちました。ひめゆり平和祈念資料館では、ひめゆり学徒の一枚一枚の顔写真などがありました。激しい戦場の中、解散命令を出され、自分だったらどこに逃げれば良いのかわからなくなると思います。魂魄の塔では、住民や軍人、敵見方関係なく犠牲者が祀られている慰霊碑で、何の関係もない住民まで巻き込まれたと聞きとても悲しくなりました。轟の壕は中がとても暗く滑りやすく、そして肌寒かったです。自分達がもし食糧も奪われあの暗い中で2~3ヶ月生活することを考えると、精神的にも耐え切れないと思いました。私達は、この南部戦跡巡りをとおして、多くの犠牲者をだして色んな物を奪う戦争は、二度と起こしてはいけないと思いました。そして、私達はこの悲惨な戦争をまた繰り返さないため、次世代にしっかりと語り継いでいこうと思います。



 



■本研修 8月7日~8月10日 長崎市

  長崎市戦跡巡り、原爆犠牲者慰霊平和祈念式典参列、青少年ピースフォーラム、恵の丘長崎原爆ホーム慰問 



 長崎市では、青少年ピースフォーラムや長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参加しました。また原爆資料館などを見学し、原爆の凄まじさや戦争の痕跡に、戦争とはどんな状況か、痛切に感じました。原爆落下中心地や平和祈念像前で開いた平和集会では、恒久の平和の祈りを込めて、中学平和交流団で作成した「平和のメッセージ」を朗読し、折り鶴を献呈しました。本研修の最終日には、被爆者の方々が入所されている「恵の丘長崎原爆ホーム」を訪問し、被爆体験講話を聞きました。ホームでの交流会では、エイサーを踊り、会場から暖かい拍手が送られました。



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       ▲長崎平和の象徴「被爆くすの木」 。生命力を       ▲永井隆記念館では、永井博士の生き様や言葉に触れ感銘

        感じました。                               を受けました。


                                



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             ▲平和集会では、恒久平和を願い平和祈念像前と原爆落下中心地で平和のメッセージを朗読しました。



 



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     ▲同級生皆で協力して製作した千羽鶴を謹呈しました。          ▲青少年ピースフォーラムでは、ピースボランティアが

                                                    
紙芝居を使って原爆の実相を語りました。



 



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    ▲ピースフォーラムでのワークショップの様子。意見を出し合い     ▲「平和のためにできること」について「平和宣言文」を作成し

      平和について話し合いました。                         発表しました。              


              



第1回平和集会 研修報告 :港川中学校


  第1回平和集会では、原爆落下中心地である爆心地公園にて千羽鶴と平和のメッセージの朗読、献呈を行いました。 69年前、私達が立っているこの真上で原子爆弾が炸裂し、全てを焼き尽くしてしまったのかと思うととても恐ろしく感じました。一瞬にして建物や人が吹き飛び、周辺の温度は約4,000度に達したそうです。人間は人ではなくなり、爆心地周辺で生きているものは、防空壕の中に隠れていた少女ただ一人だけだったと聞きました。私 たちはこの平和集会を通じて、未来永劫にわたり原子爆弾という兵器が二度と使われてはならないということやこれからの世界平和について改めて感じさせられ ました。これからは、私達だけではなく、周りの人たちにも原爆の恐ろしさを伝え、平和について一緒に考え、後世へと伝えていきたいです。



 



第2回平和集会 研修報告 :神森中学校



  第2回平和集会では、平和祈念像前で自分達で作成した平和のメッセージを朗読し、献花を行いました。このような平和のメッセージは、改めて平和を考える良い機会となり、皆の平和意識も高まると思うのでこれからも必要なことだと感じました。また、皆で黙祷をした時、原爆犠牲者の悲しみを二度と誰も味わうことがないよう平和な世界がいつまでも続いてほしいと心から思いました。

 


長崎戦跡巡り・青少年ピースフォーラム 研修報告 :浦添中学校



 長崎市戦跡巡りでは、原爆落下当時の様子や、原爆被害の大きさについて学習しました。その当時、多くの人々が亡くなり、かろうじて生き残った人々が69年たった現在でも消えることのない身体や心に深い傷を負い、多くの被爆者が今でも苦しんでいることを改めて実感し、これから私達がやらなけらばならないことは、被爆者の方々が最も願っている、核兵器廃絶と恒久平和の実現を世界に発信し、このような悲劇を二度と起こさない世界の実現を目指していける世の中を、私達からつくっていかないといけないと感じました。 青少年ピースフォーラムでは、被爆者が実際に体験した貴重なお話を聞くことができ、原爆の悲惨さを学ぶことができました。また、ピースボランティアによる紙芝居を通じて、被爆の実相について発表を聞きました。その発表を通じて原爆の恐ろしさについて詳しく教わりました。たくさんのピースボランティアのコーディネートのもとで、全国の参加者と平和について意見交換し、多くの色々な意見や考えをを知ることができました。平和についての自分の考えも改めてじっくり考える機会となり、とても充実した時間でした。 今回の研修で学んだことを家族や友人に伝えていきます。そして次世代へ戦争や原爆によっての犠牲者の苦しみや悲しみを伝え理解してもらい「戦争が起きるといい事は何一つない」ことを伝えていきたいです。


                                     

             

  ▲恵の丘原爆ホームでの被爆者体験講話では、原爆の凄惨な       ▲恵の丘原爆ホームの皆さまの温かい歓迎を受け、交流会では

    様子を語ってくれました。                                エイサー「モーレモーレ」を披露しました。



恵の丘長崎原爆ホーム訪問 研修報告:神森中学校



  恵の丘長崎原爆ホームでは、沖縄の踊りであるエイサーを披露しました。入所者の皆さんは拍手をしてくれてとても嬉しかったです。その後、被爆者である永瀬カズ子さんが原爆被害について語ってくださいました。 カズ子さんは、当時7歳で現在は76歳ですが、被爆当時のことを事細かく覚えていました。その時の色や光景など、涙を流しながら15分とういう短い時間でたくさんお話してくれました。兄が死んでしまったことや、放射能で真っ黒に焼け焦げた姉の姿など、どれだけ悲しかっただろうと思いました。カズ子さんの話で一番驚いたことは、死んでしまった人をやさしく運びはせず、足や手などを引っ張り引きずって運んでいたそうです。普通は、病気や事故で死んでしまった人はやさしく丁寧に運ぶので、引きずったり引っ張ったりして人を運ぶことに驚きでした。他にも真っ赤になるほどの火傷や傷口からうじむしがわいていたことなどを聞いて、気持ちが悪かっただろうなと感じました。もし私があの原爆当時にいたら、どういう行動をとっていたのか分りませんが、その中を生き抜いたカズ子さんは強い心を持っていたなと思います。この悲惨な体験話を私達が受け継ぎ、次の世代へと繋いでいきたいと改めて思いました。


 



宮崎県日向市との交流  820



  太平洋戦争中に浦添市国民学校(現在の浦添小学校)の疎開先であった宮崎県日向市から中学生平和交流団が来沖し、本市の中学生平和交流団と平和交流をしました。交流会では、疎開についてピースフォーラムを開催しました。浦添市から日向市へ学童疎開した体験者講話を通じて、両市の中学生が平和について意見交換を行いました。



 〇浦添市及び日向市紹介



 日向市、浦添市の平和交流団が自己紹介を兼ねて、それぞれの市や中学校についてパワーポイントを使って紹介しました。日向市の平和交流団は部活動や学校行事を紹介し、浦添市の団員は浦添市の紹介や今回の研修で学んだ沖縄戦や長崎の原爆について発表を行いました。 



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    ▲ パワーポイントを使って、浦添市の紹介と平和学習の成果      ▲日向市各学校のさまざまな取組みについて紹介してもらいました。

    を発表しました。                                



 



 〇学童疎開体験者講話(ワークショップ)



 疎開体験者講話では、第二次世界対戦時に浦添市から日向市へ学童疎開した方々を講師として招き、当時の疎開体験のお話を通して平和について意見交換しました。両市の団員それぞれ3グループに分かれて、質問形式により学童疎開体験者から当時の話を聞きました。その後、聞き取りした内容をグループでまとめ、それぞれ発表しました。



 



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   ▲学童疎開体験者の講師の皆さま。当時の疎開生活について      ▲交流を深めながら疎開について学びました。

    お話をしてくださいました。          



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   ▲ワークショップを通して平和について一緒に考えました。         ▲グループごとにまとめの発表しました。                    





■浦添市戦没者追悼式典 10月14日 



  浦添市では、第二次世界大戦で戦没された方々を追悼し、御霊の冥福と世界の恒久平和を祈念するため、戦没者追悼式を毎年実施しています。中学生平和交流団は、沖縄戦で亡くなった遺族、市関係者らが参列するこの追悼式において、沖縄、そして長崎で学んで培った平和を希求する心を込めて、「平和のメッセージ」を朗読しました。



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  ▲恒久平和を願いを込めて平和のメッセージを朗読しました。       ▲戦没者のご冥福を祈り平和の願いを込めました。



                                       



 



 



 





 


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