記事番号: 1-2953
公開日 2017年01月31日
浦添の島桑を支えるスペシャリスト
小山 朗夫さん 東京都大田区出身、昭和29年7月7日生まれ(62歳)。 浦添市シルバー人材センター テクニカルアドバイザー。 浦添市から委託されている「島桑振興事業」の中で、島桑の新品種育成、効率的な栽培技術の開発を行っている。現在までに8品種の品種登録(出願中も含む)を行った。 休日は自宅へ帰り、孫娘と散歩して過ごすのがとても楽しみ。 |
桑一筋36年
浦添市伊奈武瀬にある、養蚕絹織物施設「サン・シルク」では、浦添市から島桑振興事業を受託したシルバー人材センターが、養蚕・製糸や桑製品の生産活動をしています。そこに島桑の新品種育成に情熱を注ぐ研究者がいます。小山朗夫さん(62歳)、テクニカルアドバイザーとして浦添市の特産である島桑の振興を支える人物です。
幼い頃から植物が好きで、大学でも農学部を専攻していた小山さんが、桑に惹かれたのは21歳のとき。「ある日の朝方ですが、いつものように植物に水やりをしていると、ピーンと上に伸びた桑が太陽の光を受け、水を弾いて輝き、神々しいとまで感じた瞬間があったんです」と桑に夢中になるきっかけを感慨深い表情で話します。以後桑について研究し、卒業後は福島県の蚕業試験場に就職します。当時、福島県では養蚕が盛んで、桑の研究も養蚕用に特化したものでした。
その中で、小山さんに転機が訪れます。桑畑から実をつけた桑が多く見つかり、何とか利用できないかという声が上がりました。そこで、「食用」の可能性に着目した桑の研究を任されることになります。
小山さんがこれまでに研究してきた桑は数えきれない程ありますが、品種として登録できた桑は8品種程。掛け合わせて苗を作り、それらを成長の過程で挿し木、接ぎ木を行うなどの栽培方法を試しても最終的に品種登録できる桑は1本あればいい方だと小山さんは言います。小山さんが最初から最後まで研究に関わり品種登録した桑は一部しかありません。「結果が出るまでには約15年という年月を要します。手塩にかけて育ててきた苗が失敗作で処分しなければならない時はとても残念な気持ちになります。しかし、品種登録でき、今までより病気に強く、生産効率が良い桑を生み出したときは、費やした年月や出来事を忘れるぐらいとても嬉しいです」と笑顔を見せます。
島桑の更なる普及へ
研究成果を評価されて茨城県つくば市の研究所に異動した小山さんですが、10年ほど前に宮古島で食用桑の導入に携わった際、ある桑に出会います。それが、現在浦添市で研究を進める「島桑」でした。
「本土の桑は冬には成長が止まるのですが、沖縄に自生する島桑は、温暖な気候もあり一年を通して成長し続けます。私が追い求める生産効率の良い桑そのものでした」
島桑と出会い、つくば市の研究所を定年退職した小山さんに平成27年、浦添市から島桑振興事業のテクニカルアドバイザー就任の依頼が舞い込みます。「理想の桑を生み出すチャンスだと思いましたね。島桑の研究に携われる喜びに興奮を隠せませんでした」と小山さんは振り返ります。「就任してから研究は順調で、大きな葉や実のなる島桑が出来ています。島桑は非常に高性能な植物であり、食用としての潜在能力を秘めています。その実は糖度が約20度、メロンの糖度約15度を超えます。葉には食物繊維やカルシウム・鉄分などの栄養素を豊富に含んでいます。『てだ桑茶』や『ナンデンシー(泡盛リキュール)』を通じて多くの人に島桑を身近に感じて欲しいですね」と小山さんは願います。
小山さんの研究の成果により、島桑の生産が今以上に容易になれば、島桑を原材料とした商品開発が進み、多くの商品が店舗に並ぶ日はそう遠くはないかもしれません。
小山さんは「一日一日島桑の成長が待ち遠しい」と研究の成果が実を結ぶことを願い、優しい眼差しを島桑に向けました。