記事番号: 1-3476
公開日 2017年07月05日
写真提供:琉球新報社
限界まで努力したその先に
「カン!カン!カン!」ととゴングの音が響き渡った17年5月20日有明コロシアム。ポクシングWBC世界フライ級タイトルマッチで強烈な拳を前王者ファン•エルナンデス(30=メキシコ)にねじ込み、世界王者の座に着いたのは比嘉大吾選手(21)。6ラウンドTKO勝利によりプロデピュー以来負けなしの13連続KO勝利は日本人初。圧倒的な強さを見せつけ、県出身者として25年ぶり、浦添市から初の世界チャンピオン誕生という快挙に応援する人全てが歓喜しました。
比嘉選手がポクシングを志したのは中学3年生の冬。テレピで現役時代のボクサー具志堅用高氏の特集を見たことがきっかけでした。臆することなく立ち向かう姿や闘志みなぎるその目に魅了され、瞬間的に「ポクサーになるんだ」と決意したと言います。それまで野球に熱中していた比嘉少年は、野球グローブからポクシンググロープヘと持ち替え、ボクサーヘの道を歩み出します。
ポクシングをするため宮古工業高等学校へと進学した比嘉選手。ポクシングを始めた頃、減量があることを知らず、その辛さから一度だけ「ポクシングを辞めたい」と思ったことがあったと明かします。その時踏み止まれたのは、「沖縄本島から宮古島へと渡るとき、応援してくれるみんなと交わした“絶対チャンピオンになる”という約束を果たす、ただその想いだけでした」と比嘉選手は振り返ります。
インターハイや国体に出場するものの、最高戦績は全国ペスト8と決して目立つ選手ではありませんでしたが、「攻める闘志」や「パンチカ」に潜在能力の高さを見出され、具志堅用高会長のスカウトによりプロヘと転向します。
プロ転向後、具志堅会長や数々の名プロポクサーを育てあげた野木丈司トレーナーらとジム一丸で臨んだ一戦一戦。その積み重ねにより悲願だった世界チャンピオンの座をその拳で勝ち取ります。
挑戦を受ける立場となった比嘉選手ですが、「これまでと何も変わらない。おごらず、攻め続けるのみです」と言います。「世界戦を戦って、ジャブをもっと使えるようにしないといけないと感じた。課題克服のためとにかく練習あるのみです」と初心を忘れません。
世界チャンピオンになるという夢を実現した比嘉選手は「夢を持つことはとても素晴らしいことだと思います。その夢を実現するためには、限界まで努力をすることが大事で辛いことも多くあります。それでも努力し続けた人だけが夢をつかむことができると思います。あきらめずに頗張って欲しい」と夢を追う人たちにエールを送ると共に、「自分も一番有名な世界チャンピオンになるため努力し続けます」と新たな夢実現へ向け自らを鼓舞しました。
「ワンもカンムリワシにないん」と意気込んだ比嘉選手の伝説は始まったぱかり。指笛と大きな声援がパワーの源だという比嘉選手は、その想いを拳に込めて戦い続けます。
ひが•だいご (21) 平成7年8月9日生まれ 沖縄県浦添市出身。
白井•具志堅スボーツジム所厲。身長160.5cm、体重50.8kg(試合時)。宮城小学校、仲西中学校、宮古工業高等学校を卒業。アマチュア時代の戦績は45戦36勝(8TKO) 8敗。14年6月のプロデビュー戦を1RKOで飾り、以後全戦KO勝利という記録を更新中。ボクシングを始めてからわずか5年という異例の速さで頂点に上り詰める。世界チャンピオンという偉業を成し遂げたその功績を称え、浦添市民栄誉賞が贈られる。