【ROAD】09 知念 司さん

記事番号: 1-6598

公開日 2017年03月01日

知念さん



てだこ市民賞に輝く料理人









知念 司さん(40歳)

 沖縄県国頭郡伊江村出身

 1976年6月4日生まれ

●大阪の日本料理店「うかむ瀬」で5年、「その田」で2年、「京都ホテル」で3年修行し、26歳の時、『ゆうづき』を開店。現在、姉妹店含めて3店舗を展開。

 浦添市特産の桑を使った創作料理にも力を入れ、その創作意欲は尽きる事がない。数々の賞を受賞し、今年1月に輝くてだこ市民賞を受賞。

●思い出の味:クリームシチュー

 唯一母親にリクエストして作ってもらった料理であり、今でも大好きな家庭料理の一つ。


知念さん



 真剣な眼差しで「スーッ」と食材に包丁を入れ、流れるような手さばきで料理を創り上げるのは、浦添市に本店を置く割烹居酒屋「味心ゆうづき」の経営者であり料理人の知念司さん(40)です。

 知念さんは、昨年開催された第29回全国日本料理コンクールの郷土料理部門で最高賞を受賞。最高賞にあたる各大臣賞が5つあり、過去4つの大臣賞を受賞してきた知念さんは今回の受賞で5冠達成という偉業を成し遂げます。

 そんな知念さんが料理人を志したのは、小学校5年生の時。母親が『ゆうづき』という飲食店を経営し、温かい雰囲気の中でおふくろの味やお酒を出して店を切り盛りする母の姿を見て、幼いながらに「いつか母と一緒にお店をやりたい」と憧れと夢を抱いていたと話します。

 しかし、ある日突然に母親が交通事故により亡くなり、その夢が断たれてしまいます。「母が亡くなり、今まであった場所にお店の看板が無くなった時、とても悲しかったです。でも、その時に兄妹3人で〝大きくなったら『ゆうづき』の名で店を出すんだ〟と心に誓い、それから兄妹3人の夢に変わった」と振り返ります。

 



ゆうづき



 母親が亡くなって以来、祖母に育てられた知念さん兄妹。知念さんは両親のいない心の寂しさからか、「中学校時代はやんちゃで学校に行かない時もあった」と明かします。そんな知念さんを見捨てずに常に寄り添ってくれたのが恩師・瀬良垣 世堅先生でした。「先生の存在は私にとって大きい。先生と交わした〝自分は日本一の板前になる〟〝先生は世界チャンピオンのボクサーを育てる〟という男同士の約束は私の心の支えでした」と感慨深げに話します。

 恩師との出会いもあり、知念さんは夢実現のため中学校卒業と同時に、日本料理の世界へと入ります。

 料理の世界は想像以上に厳しいものでした。朝は早く、寝床に就くのは毎日明け方。あいさつにはじまり、ホールや店の前の掃除など、料理以外のことを徹底して叩き込まれます。その厳しさに耐えられず、脱落していく同期を横目に、知念さんは兄妹との約束、先生との約束を胸に歯を食いしばりました。

「チャンスを掴むにはプラスαの努力が必要だと思います」と知念さん。その言葉通り、仕事以外では毎日知人の魚屋で魚をさばく練習をするなど努力を重ねます。仕事では親方や先輩が今何を求めているのか、常に先を読むことを意識し、着実にステップアップしていきました。そして10年の修行を積み、知念さん26歳の時に念願だった『ゆうづき』を兄妹と共に開店させ夢を実現します。

 



ゆうづきの料理



 以降、常にお客さんの喜ぶ顔や気持ちを考えて仕事をしてきた結果、今では『ゆうづき』は浦添と那覇の3店舗となり、多くの常連客が集います。「手ごろな値段で創作料理が味わえ、その中で完全予約制で本格的な懐石料理が楽しめるのは、ここ『ゆうづき』だけです」と知念さんは自負します。

 家族団らんの食事への憧れのあった知念さんにとってお客さんは家族も同様。「『ゆうづき』は美味しいだけではなく、楽しいをプラスして、誰もが気楽に憩える場所にしたいです」

 そう願う知念さんは、今日もまた心を込めた最高のおもてなしで、お客さんを笑顔にします。



 


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