記事番号: 1-10358
公開日 2016年06月21日
戦後70年を迎え
浦和の塔
沖縄戦から70年が過ぎました。戦争体験者が少なくなるなか、あの悲劇を風化させないために、私たちには何ができるでしょうか。
まずは、ドアをたたいて「知ること」から初めてみませんか。
浦添市が激戦地だったって、本当?
実は、沖縄戦最大といわれるほどの激戦地、それが浦添市でした。特に、前田高地(現在の「浦添城跡」周辺)は、「ありったけの地獄を一つにまとめた」と形容され、沖縄に上陸したアメリカ軍とそれを迎え撃つ日本軍が激しい攻防戦を繰り広げました。浦添市全体では、凄まじい爆弾投下と砲撃により、住民のおよそ5人に2人が犠牲になりました。
字別繊細実態(浦添村全体)
浦添市の戦闘について、詳しくは以下のサイトをご覧ください。
浦添市内でも、戦跡は見られるの?
戦跡は、浦添市内の各地でみられます。以下では、市内のガマ、慰霊の塔・碑を紹介します。
浦添市内の戦跡(ガマ)について
浦添市内の戦跡(ガマ)
浦添市内の戦跡(ガマ)一覧
浦添市内の慰霊塔・碑について
浦添市内の慰霊塔・碑
浦添市内の慰霊塔・碑一覧
戦時中、浦添市の子どもたちも疎開したの?
戦争の足音が近づき、浦添国民学校と仲西国民学校の児童たちは、九州に疎開しました。沖縄での戦火を逃れたからといって、その生活は決して楽なものではありませんでした。
疎開体験者が重い口を開き、当時の体験談を語ってくださいました。
【動画】 浦添国民学校の2年1か月 ~ 命をつないだ疎開 ~
浦添市がめざす平和とは?
浦添市は、以下の宣言を掲げいています。
浦添市で、平和学習の機会はあるの?
浦添市では、平成8年から毎年、市内の中学生を対象に「中学生平和交流団」を結成しています。参加した生徒たちは、沖縄戦を学ぶとともに、被爆地である長崎県長崎市に派遣され、原爆の日に合わせて集まった各地の学生との交流を通して、平和について考えを深めます。平成23年度からは、疎開先だった日向市の平和交流団との交流も行っています。
過去の平和交流団の活動報告
浦添市の平和関連資料
平和学習に、ぜひご活用ください。
浦添市平和ガイドブック表紙
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