記事番号: 1-3663
公開日 2017年07月03日
『ハクソー・リッジ』の舞台が分からないというあなたへ
2017年6月24日公開となる『ハクソー・リッジ(原題:HACKSAW RIDGE)』(メル・ギブソン監督作品)は、沖縄戦に従軍した実在の衛生兵デズモンド・ドスを主人公とする実話をベースとした作品です。
太平洋戦争終結から70年以上も経過すると、現場の様子も景色も変わり、そして人の記憶も薄れていきます。平和の大切さを語り伝えることは現代を生きる私たちにとってとても大切なことですが、都市化の波には抵抗しがたく、当時の面影を探すのは難しいところです。しかし、本作品を通じて今一度、あの悲惨な戦争を思い出し、平和を希求する自らの心に動かされ、沖縄観光で足を訪れた際に、この『ハクソー・リッジ』のクライマックスとなる「前田高地」を訪れる人、あるいは訪れたいという人も増えてきました。ここでは、映画を体感するためのガイドとして、現地の様子を紹介してまいります。
※市町村名は、現在の名称で記載をしています。
まず、浦添市はどこにあるのか。そしてなぜ、浦添なのか…
浦添市の場所を皆さんはご存知ですか?
浦添市は沖縄本島のこの◯で囲まれたところにあります。
那覇空港のある県都:那覇市の北側に隣接する、人口11万弱の都市。
それが「浦添市(うらそえし)」です。
ちょうど三角形△のカタチをしていて、ほぼ中心の位置に浦添市役所があります。市域を2本の国道(国道58号、国道330号)が南北に縦断し、市役所の東側に映画の舞台となる「前田高地」があります。その場所は、「浦添城跡」とほぼ同じと理解していただいてけっこうです。さて、沖縄戦当時、まずは米軍がどのようにして浦添市へと進軍してきたのかを見てみます。
1945年(昭和20年)4月1日、北谷町(ちゃたんちょう)の海岸から米軍が上陸を開始します。
当時の事を知る人からお話を伺うと、ものすごい数の軍艦が押し寄せていた、と語ります。映画の中では……
© Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016
このように描かれています。実際の記録写真と比較してみますと……
引用:Naval History Blog, U.S. Naval Institute
本作品が、いかに当時をよく調べ、忠実に再現しようと努力していることが解りますね。
このイメージを持って映画『ハクソー・リッジ』をご鑑賞いただくと、そのシーンの一つ一つがリアリティをもって伝わってくるのではないでしょうか。
さて、米軍が北谷町に上陸して南へと進撃を開始。途中で幾度かの戦闘が繰り広げられ、浦添市に至る直前には宜野湾市にある「嘉数高地(かかずこうち)」でも激しい戦闘が繰り返されます。
日米両軍が嘉数高地、前田高地で激しく戦った理由、それは当時の重要な軍事拠点の位置関係を見るとよく解ります。
この地図をご覧いただくとよく解るのですが、北谷町から宜野湾市の嘉数高地、浦添市の前田高地と直線的に進む南には、当時の日本軍の指令本部があった「首里城」が位置しています。
つまり、米軍が沖縄戦で勝利をするための必然のルート上に、嘉数高地や前田高地が位置していたということです。
浦添市はそういう背景があり、激しい戦闘の舞台とならざるを得なかったのです。
前田高地の状況
「前田高地」と称されるエリアは、現在の浦添城跡周辺部。かつての前田集落の北側に位置していたエリアで、ちょうど現在の「浦添グスク・ようどれ館」から、浦添市消防本部があるあたりまでを指しています。
北から南下してくると、この辺りは所々に丘陵や高台が存在するため、そうした各ポイントに日本軍が守備隊を配置していたようです。
浦添市内では4月下旬から戦闘が始まり、牧港、城間、伊祖、仲間、前田、西原……と次々に米軍が押し寄せてきました。
しかし、「ハクソー・リッジ」に代表されるように急に高くなった丘陵や崖は戦車による進軍が難しいことから、自ずと米軍は兵士自らが攻め寄せる攻撃にならざるを得ません。
一方の守る日本軍は、高所から攻め寄せる米軍に攻撃を加える、あるいは崖を乗り越えた米兵を狙撃、砲撃するという激しい戦闘を余儀なくされました。
ドローン空撮で見る「前田高地」と「ハクソー・リッジ」
ここからはドローンによる空撮写真を元に、現地をご案内いたします。方角が解りやすいよう、地図を合わせてご紹介します。
前田高地へ足を運ぶには、まずは「浦添城跡」へと向かいます。駐車場から木々に囲まれた道を通ると、やがて浦添城跡の復元中の城壁が見えてきます。
城跡の北側斜面には英祖王と尚寧王という2人の琉球国の王様が眠る「浦添ようどれ」があります。
城壁の手前には当時の日本軍守備隊の陣地壕の跡が見えます。
そして、ようどれの東側から連なっていく絶壁が、映画の舞台である前田高地の「ハクソー・リッジ」です。
70年以上の時を越え、緑が生い茂る場所となっておりますが、人間と比較してみるとその垂直の崖の高さがご理解いただけるのではないでしょうか。
映画は当時の様子を見事に再現しています。
© Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016
実際にご覧になっていただくと迫力も伝わるのではないかと思いますが、沖縄は珊瑚礁が隆起して出来た石灰岩からなる場所が多く、この前田高地も全体がこのように大きな岩となって米軍の前に立ちふさがりました。
さらに東へ進むと米軍から「Needle Rock」と呼ばれたワカリジー(ハナリジーとも言います)が見えてきます。前田地区の皆さんにとってはシンボルであり、浦添を代表する景観として「浦添八景」にも指定されています。
引用:U.S. Army Center of Military History
この写真にある「NEEDLE ROCK」が「ワカリジー」です。
ワカリジーの位置する場所はとても狭くて、大部隊が展開できるような場所ではありません。
この写真の左側斜面には壕も点在しています。
苦労をして崖を乗り越えると、そこに日本軍の攻撃が繰り返されたそうです。
<追記>インターネット上で「なぜ、日本軍はこの崖の上から機銃攻撃をしなかったのか」という声があるのですが、実は現在のこのハクソー・リッジ周辺は戦後の復興事業の中で多くの岩が建材用として削り取られてしまったのです。よって、当時はもっと崖の頂上部分は狭く、それこそ日米双方の兵隊が掴みかかったりするぐらいの接近戦をする広さしかなく、機銃等は設置できる状況ではなかったそうです。
© Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016
北側斜面については、米軍は既に嘉数高地を押さえており、背後を突かれる心配もないため容易に攻略したわけですが、立ちはだかる「ハクソー・リッジ」では、砲弾の嵐が飛び交い、多くの人が命を落とす激しい戦闘となったのです。
ワカリジーから逆の方向へと向かい、前田高地(浦添城跡)から北西部を見ます。
前田高地と同様に激しい戦闘が繰り広げられた伊祖城跡があり、緩やかな丘陵が海、東シナ海へと続いています。この地形からも米軍はここを乗り越え、拠点として押さえない限りは首里へと進軍することがかなわないことがよく解ります。
激しい戦闘は数日間に渡り繰り広げられ、1945年(昭和20年)5月6日、前田高地での戦闘は米軍による前田高地の占領と日本軍の撤退により終結を迎えます。
あれから時が過ぎ、映画『ハクソー・リッジ』を鑑賞された多くの方が「前田高地」に関心をもち、外国人の方もガイドとともに多数、この激しい戦闘が繰り返された地へと足を運ばれています。
かつて、琉球王国の平和を願った王の眠る地で行われた激しい戦争。
二度とあのような思いをすることがないよう、訪れる人々はこの地に佇み、祈りを捧げています。
浦添ようどれの下から見上げるハクソー・リッジ
北には宜野湾市にある嘉数高地が見えます。こちらも激戦地でした。
Apple製品の「マップ」では3Dで前田高地周辺が表示されます。
前田高地(浦添城跡)へ足を運ばれる際は、ここに掲示した周辺地図などもご参照ください。
また、AppleのiPhone、iPad、iMacといった製品に搭載されている「マップ」を活用すると、前田高地付近や首里城にかけての一帯の現状が3Dで表示されるようです。
独特の地形や高低差から激しい戦闘が繰り返された各所の状況が上空から確認できます。
周辺には3箇所の駐車場があり、それぞれから前田高地へと足を運ぶことが出来るようになっています。夏本番を迎えるこれから、強い陽射しに注意し、十分な熱中症対策をお願いします。また、足元が悪い箇所もありますので安全には十分注意されますよう、よろしくお願い申し上げます。
<追記>ご要望がたいへん多かった現地のガイドツアーを、浦添市観光協会が『映画「ハクソー・リッジ」の舞台となった浦添城跡前田高地を巡るツアー』としてご用意しました。7月からの土日に設定されております。ご希望の方はリンク先をご参照ください。
<追記>現地を訪れる方のご要望もあり、また、ガイドの参考になるようにと日本語・英語併記の案内ボードを設置しました。現地は国指定史跡であり文化財発掘調査も行っている最中なので、固定施設の設置が難しいことから、この形式での対応となっています。ご意見・ご要望等ございましたら、お寄せいただけましたらできる限り対応いたしますので、よろしくお願いいたします。
ワカリジーへの行き方について
Desmond Doss Pointからワカリジーまでどのようにして行けば良いのかというご質問がございましたので、以下、ご説明いたします。
浦添城跡は首里に王都が移る前に王がいた城跡であり、現在はその「浦添グスク」の発掘と復元作業を行っているところです。そのため、各所で作業が進められおり、案内板のとおり東屋のある場所からその先へ進んでも通り抜けが出来ない箇所がございます。そのため、途中にある「前田高地平和之碑」へ下りるための階段を使い、一度は碑のあるところへ下りていただく必要があります。
このように幅の狭い小さな階段となっているので、気をつけてご利用ください。
この「前田高地平和之碑」は、前田高地での戦いで多くの命を落とした山3475部隊第二大隊所属の戦没者を慰めるために建立された慰霊碑です。現在、その前は開けた草原状態で、前田高地の斜面を間近に見ることができるようになっております。現在設置されている案内板にも記されておりますが、
ちょうどワカリジーの手前にあたる地点。比較的登りやすい地点で縄をかけて昇ったのでしょうか。崖の上に立っているのは、実際のデズモンド・ドスだそうです。
この場所の下部には防空壕も確認されますが、崩落の危険もあるため立入禁止となっております。
その前の広場から先に進むと、ちょうど霊園の中を通る道となっており、しばらくすると左に下り霊園の入口へと続く道、そして右側にさらに登る道と分かれています。この右側の道がワカリジーへと続く道となっています。
<追記>「浦添グスク・ようどれ館」にはガイドが常駐していますので、浦添グスクや沖縄戦当時の詳細な情報についてはガイドまでどうぞ。ガイドは「NPO法人うらおそい歴史ガイド友の会」が行っております。